綿野恵太さんの『「逆張り」の研究』を読みました。
献本でいただきましたが、読んだところ大変おもしろかったので、感想を書きました。
これまでの綿野さんの著書は『差別はいけないと言うけれど』『みんな政治でバカになる』など評論スタイルが多かったのですが、この本ではどちらかというと綿野さんの個人的な話が中心に進みます。
綿野さんは現在はTwitterをやめられたそうですが、以前やられていた際は、飄々としたユーモアを感じさせるツイートが好きでよく拝見していました。
きっとエッセイは面白いに違いないと思い、以前自分が作っている『B面の歌を聞け』という個人誌でお酒についてのお原稿を依頼させてもらったこともあります。
今回は綿野さんの個人的な文章が読め、ファンとしては非常にうれしい限りでした。
「逆張り」認定されたことがきっかけ
テーマとなっている「逆張り」は、綿野さんはあるとき新聞社に「逆張り」についての取材依頼を受け、自分が「逆張り」当事者として呼ばれたことに気づき、ショックを受けるところに遡ります。
そのモヤモヤをブログに書いたところ、知り合いの編集者から「逆張りについての本を書かないか」とメールをもらい、それをきっかけに綿野さんはかつて勤めていた出版社の元社長から「逆張りくん」と言われたことを思い出します。
逆張りとは、もともと相場についての用語だったものが、「だれも価値が認めないことをあえてすること」というような意味が派生しました。ところが、ここ20年でその意味が大きく変わり、ネットでは「良識を嘲笑うような意見や、常識的にはありえない主張」とイメージが悪くなり、政治や社会運動について冷めた態度を取ったり揶揄するようなことを言う人を指す悪口として使われるようになっていったそうです。
時代と合ってない性質
この本では綿野さんは繰り返し、社会から外れる人間、合わせようとしても合わせられない人間に惹かれる。それは自分は常識的な人間だからこそ、同調圧力に流されてしまう逆張りできないタイプだからだと言います。
本人は常識的だと思っているのに、綿野さんが逆張りと言われるのは、本人の「同調圧力が嫌い」という性質が社会との関係を取り結ぶ際に、綿野さんの性格の本質に関係なく、たまたま今の社会で悪口的に使われる言葉と結びつけられたというような部分があるのではないでしょうか。綿野さんの人柄や性格は本でしか知らないので、断定はできませんが。
この本が描こうとしているのは、そういった本人の変えられない性質や、時代のなかで培われてきた感性や態度などが、ある面から見ると病的に扱われたり悪口を言われてしまうことがある。しかし、それを病的だとみなしたり、悪いものとまなざす社会はいったい何なのか、ということなのではないかと感じました。
真剣に向き合っているから俯瞰できる
今の社会では、ちょっと社会問題に関心がある人からすると、このようにちょっと俯瞰して見ること自体が、「逆張りの擁護」あるいは「高見の見物」とか「特権性がある態度」と言われがちで、この分析自体が受け取ってもらえないような構造があります。
社会と自分の関係を描くとき、自分の問題や悩みやモヤモヤがそのまま社会の問題になっているタイプは主張がわかりやすく理解してもらいやすいと思うのですが、そうじゃない人の意見がなかなか理解されにくいという部分があるからじゃないかと思います。
「個人的なことは政治的なこと」にあるよう、どんな小さく、くだらなく、個人的な問題だと思われるようなことも、突き詰めるとどこかで社会に行きつきます。
あとがきで綿野さんは
社会から逸脱する人が好きだし、大文字の言葉で社会を語るよりも、もっと具体的で自分本位な文章を書きたいとぼんやり考えていた。せめて実生活以外のところでは、他人に遠慮せずに自由でありたい、とわかったのだ。といっても、世捨て人ではないから、極私的なことを書いたとしても、社会にかかわらざるをえないのだけど。(246~247ページ)
と謙遜するかのように言います。
しかし、この本が極私的なことがらを書きながらも、この社会の20年の変化をうまく捉えているように見えるのは、この本で綿野さんが真剣に自分の性質と向き合ったからではないでしょうか。
表面的に社会正義を唱えても社会は変わらない
ネットでは日々新しい言葉が生まれ、言葉の意味が更新され、悪口も誉め言葉もフォーマットのようにワンセットになって、ボタン一つで簡単にそれなりの主張ができるような世の中になりました。そういうときに、やっぱりこれでいいのかなと一歩立ち止まったり、俯瞰できるのは、逆張りとか冷笑とか高見の見物とはちょっと違うんじゃないかと思います。
立場や権力のある人間が社会正義や特権性ということを視野に入れないで発言するのは許されない時代になってきました。だからといって、社会に合わせて自分でも気づかない欲望や差別意識を糊塗して、表面上だけ同じような主張をしても本当に社会は変わらないのではないでしょうか。
意識を変えるというのは本当に難しいことだと思います。
勉強するたび、自分はなんて差別的な人間だろうと落ち込むことの方が多いです。そこを直視し、いかに自分が変われるか、あるいは自分のその欲望や差別意識がどこから来ているか、ちゃんと向き合う必要があるのではないでしょうか。
私も「逆張り」なところがあるので、読んでいて身につまされることが多く、身を切られるような痛さも感じたのですが、最後はこの自分でやってくしかないと逆に開き直った不思議な読書経験でした。