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バンクーバーに住んだことで起こったファッション観の変化(Vancouver A to Z [F: Fashion])

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服の話は今回でおしまいです。
前回、前々回で服の買い方と処分の話を書きました。
 今回はバンクーバーに来て自分のファッション観が変わった話を書きます。


kokeshiwabuki.hatenablog.com

 

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 


まず、来ていちばん驚いたのは、バンクーバーのおしゃれが、
日本のおしゃれと全然違っていたことです。

1、体型の長所を見せる

おしゃれには二つの方向性があると思います。
体型の難点を隠すか、体型のいいところを見せるか。
日本は言うまでもなく隠す方向でしょう。
チュニックで下半身をカバーしたり、
上半身にボリュームを作って下半身に目がいかないようにして、
足が長く見えるようにしたり。

なので、日本で売っている服は
服にフリルやウエストマークがついていて、
デザイン性の高い服が多いです。
また、着こなしも、目線をずらして体型の難点を目立たないようにしようとするので、
エリを出したり袖をまくったり、アクセサリーや小物をつけたりと、
服以外の要素が多いです。
それに、道徳とか常識みたいなのがあってか、
全体的に露出の少ない格好が多いです。

一方バンクーバーの人の格好は、
前々回の記事にも書いたように、
露出の多い格好や、透けた素材の服が多く、
丈が短かったり、スリットが入っていて、
ウエストや足を強調するような服が多いです。

日本にいたときはそんな格好をしていいのは、
モデルや若くてきれいな人くらいだろうというような先入観がありました。
しかし、バンクーバーでは、どんな世代の人でも、どんな体型の人でも、
そういう服を堂々と着ていることに驚きました。


2、女性らしさにこだわらない

それから、スカートをはかない人が多いことにも驚きました。
住む地域にもよりますが、わたしの住んでいるエリアでスカートをはいている人を見る機会はすごく少なかったです。
理由として考えられるのは、ひとつは天候の問題。
冬場は足下が悪くて、寒いので、スカートは合理的じゃないこと。
もうひとつは、ファッションにおいて女性らしさ、
もっと言うと男性への媚のようなものが、
あまり重視されていないからなのではと感じました。

わたしが20代だった2000年前半は
雑誌で「モテ服」「愛され系」という言葉がはやっていました。
それは言い換えたら「女性らしさ」を全面に出したような格好のことです。
たとえば、女性の柔らかさを感じさせるパステルカラーのような色遣いや、
シフォンのようなふわっとした素材の服、
清楚さを感じさせるようなメイクや髪型でまとめた服装です。
いわゆる女子アナと呼ばれている女性のアナウンサーや、
「お嫁さんにしたい人」に選ばれるような女優が
ドラマなどでしている格好に代表されます。

わたしも実際同世代や年上の男性から、
「かわいくなるからそういう格好をした方がいい」
というようなアドバイスを受けることもありましたが、
わたしは当時古着が好きだったこともあって、
そのようなアドバイスをほとんど無視していました。
しかし、学生のうちは古着でよくても、
社会人になるうちに無視しきれなくなりました。
なぜなら、それが「社会人になったらこういう格好をしましょう」という
一種のお手本というか、規範みたいになっていたからです。
わたしはどちらかというと森ガールほどいかないガーリーな服が好きだったので、
そういう服を着るのは結構嫌でした。
また、「愛される」ことを主体にして服を選ぶのが自分を抑えているようで、
そういうことを言われるたびに、かわいくなるっていうんだから受け入れないといけないという気持ちと、別にそうまでしてかわいくならんでもいいわという気持ちで、ぐらぐらしていたものです。

しかし、バンクーバーで売っている服や、バンクーバーの人の服装を見ていると、
日本の「愛され系」ファッションをほとんど見かけることがありませんでした。
体型を強調する服は女性の体型を魅力的に見せるためで、
そこに男性への媚が含まれているように感じませんでした。
わたしはこれまで女性らしい服を着るのが恥ずかしく、
ガーリーとか古着に逃げているところがあったのですが、
パンツでも素敵なスタイルの人がいたり、
露出や透けている服でもいやらしくない人がいたりして、
女性らしさが男性への媚とイコールでないこと、
女性らしさの表現にはいろいろあるとわかりました。
特に「愛され系」ではない形で、
自分の女性らしさを表現できるかもしれないと思ったのは発見でした。

3、標準がない

また、バンクーバーでは同じスタイルをいろんな人が着ていることに驚きました。
同じメーカーの服、似たような着こなしをいろんな人がしています。
サイズはXXSからLまであるし、背の高い人も低い人もいます。
みなそれぞれに似合っていて、うまく着こなしています。

日本にいたときは、理想的な顔や体型、メイクや着こなしというのがあって、
そこからずれたところ(主には欠点)ばかりに目がいっていました。
なので、嫌でも人と比較するところがありました。
それは、日本だと
同じような髪の色、肌の色、目の色の人ばかりで、
理想的な標準というのがあって、そこに寄せていくような
ファッションだったからじゃないかと思っています。
でも、バンクーバーだと、そもそもの肌の色や目や髪の色や体型がバラバラで、
似合う服も色もお化粧方法もそれぞれ人によって違うので、
あまり人と比べるということに意味がないなと思うようになりました。

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化粧品売り場では肌色に合わせて口紅が何色もある

4、ファッションに多様性がある

いろんな国から人が着ているので、いろんな国の着こなし、流行、
民族衣装を見かけます。
ヨガパンツにブーツとパーカーやニットやチェックシャツとベストの組み合わせの
シンプルなスタイルの地元の子、
ワンレイヤーで真っ黒の髪に真っ赤なリップを塗るメイクが特徴の韓国の子、
おしゃれめがねにごついスニーカーとハイブランドの服で固めた中国系の子、

それだけじゃなくて、


宗教によってはスカーフをまいている人、
サリーを着ている人、男性はターバンを着けている人もいます。
自分は着なくてもスカーフのまき方にはっとしたり、
サリーを売っているお店で色の派手さにくらくらしたり。


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インド人街にあるサリーを売る店


日本にいたときは、そのときの流行を追いかけなきゃという気持ちがあって、
追いつかなかったりうまく着こなせないことに嫌気がさすことが多かったです。
自分が似合う服と着たい服の違いもあまりわかっていませんでした。
でも、バンクーバーでいろんな格好を見ていると、
それぞれに素敵でいいところがあることがわかり、
全部を真似することは不可能だし、
自分の個性や長所が出るような似合う服を探して着ればいいんだと、
おおらかな気持ちになりました。


まとめ

ファッションには、自分の体型や、頭の中の理想や、社会の常識や
いろんな要素が関わっています。
そのいろんな要素にひっぱられていつも迷走していました。
特に自分の中では2の、女性らしさはどうしたらいいのかよくわかりませんでした。
しかし、バンクーバーでいろんな格好の人を見たことで、
女性らしさの表現の多様さを知ったのは結構ヒントになりました。

///

胸やお尻を無理に隠さなくてもいい
短い足でも大きなお尻でも魅力的に出すことはできる

露出が高い服を着るのは触っていいからじゃない
くびれている部分や胸の形や
自分の体で自分が好きな場所を強調するためだ

ふわふわの服、パステルカラーの服を着なくてもいい
好きなら着てもいい
それを着るのはわたしがその色や形を好きだからで
誰かの好みに合わせているからでも
誰かに気に入られるためでもない

あの子みたいになれないと思う必要はない
わたしはあの子ではないからだ
あの子になるために着るのではない
わたしがその服を着たらいい感じになるから着る

あの子みたいじゃない誰かを笑わない
その子は別にあの子になりたいわけじゃない
そうしない人を笑っていいという理由はない

好きで似合ってその人が魅力的に見える服を着れば、
気分良く過ごせる
人が気分良くやっているのを
とやかく言う権利はない
言われる理由もない

///

これからはこういう感じで、短所よりも長所に目を向け、
人と比べないで、自分の個性や長所が出るような似合う服を探して
着ていきたいと思います。



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