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高井ゆと里さんの出版イベントについてのブログを読んで思ったこと

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yutorispace.hatenablog.com



高井ゆと里さんの出版イベントについてのブログを読んだ。

私も本を出したあと何回か出版イベントをやったことがある。やるうちに結構モヤモヤすることが多くなってきた。
その理由について今までうまく言えなかったけど、このブログの「2.謝礼について」と「7.書き手と話し手について」を読んで、今までモヤモヤがすごく整理できた。

「2.謝礼について」は特に追加で言うことはないので、「7.書き手と話し手について」について、どんなところが整理できたかをメモ代わりに書いておく。
特に

 

マイノリティの人権にまつわることについて書いたり、表現したりする人たちは、しばしばそのマイノリティ性と共に生きていることが多いため、そのようなイベントへの登壇は、そうした人に対して大きな負担・リスクを生み出す。そのこともぜひ覚えておいて欲しい。何が言いたいかというと、この種のイベントで「話せる」書き手であること自体が、一種の特権だということだ。



を読んだときに、私は自分はマイノリティじゃないけど、あることの当事者で、表に出るときに、その当事者であることも触れないといけなくて、それが負担だったんだなとわかった。


私の著書は『愛と家事』という自分の離婚経験と、母に対するモヤモヤをつづったものだったが、離婚時の話が書いてある。

yagakusha.thebase.in


離婚するときにいろいろあって、それを人に言ったら「あなたのせい」とか「夫婦なんだから両方に責任がある」みたいなことを言われるから文章に書いたのに、販促のために表に出てそれについて話さないといけないことに矛盾を感じた。
また、イベントでそういった過去の個人的な話を初対面の人にいきなり話さないといけないのも結構きつかった。
もちろん、呼んでいただいた書店さんにも、来てくださったお客さんにも感謝しているし、ほとんどはいい場だったし、来てくれた人もいい人ばかりだった。
けど、やはり個人的なことを公開の場で言うことが重荷だった。

じゃあイベントに出なきゃいいじゃん!
だけど、ここにも書かれているように、今はイベントに出ますとか、企画できるとか、それでお客さんを呼べるというのが著者のアドバンテージになっている。そうなると出ませんとは言いにくい。だから、

この種のイベントで「話せる」書き手であること自体が、一種の特権だということだ。

という指摘におおいにうなづいた。
私は「話せる」書き手でも「人を呼べる」書き手でもなかった。でも少人数でもいい場はできる。
でも出版社と本屋からしたら本が売れてなんぼ、入場料が入ってなんぼなので、こういう少人数で交流的なことをしても評価されない。そこにすごいモヤモヤした。書き手は書くことが仕事なのに、どうしてパフォーマーにならないといけないんだろうと思ったし、話すの上手で人を巻き込んだり人気者みたいな人の方が本が出せるってなんか変なのって思ってずっとモヤモヤしていた。

高井さんのように疑問を持ったことに対して、こうやって意見を表明する態度は立派だ。自分はめんどくさい人と思われたくなかったし、また仕事がほしいし、本も出したいしと思ってなんでもハイハイいうこと聞いていた。けど、今思ったらそれは都合よくつかわれていただけだったと思う。

書くのと話すのは全然違う技能だ。
これをきっかけに、議論が深まればよいと思う。


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