英語の勉強も兼ねて面白かった記事について紹介します。
土曜日(6/5)にこの記事を読みました。
「タナクラバザー:イランで愛される日本のドラマ『おしん』の遺産」
これを読むきっかけになったのはこの記事です。
www.bbc.com
英語版はこちら。
上記の記事にあったこの文章に大変興味を持ちました。
おしんが服飾店を開いて成功するエピソードにちなみ、イランでは古着市場のことを「タナコラ」と呼ぶようになった。「タナコラ」は現在、単純に古着のことも指す言葉だという。
そこで、Oshin Tanakoraでググってみると出てきたのが、一番上の記事です。
タナコラの語源は、おしんの夫の苗字・田倉(たのくら)が子供服の事業をやっていたところから来ているそう。
ここから簡単な要約です。
誤訳、誤読はすべて筆者の責任です。
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『おしん』がイランで放送されたのは1986年。
イラン革命のあとにイランの国営放送で放送された初めてのテレビドラマで、
『おしん』が放送される土曜9時には通りから人が消え、『おしん』放送によりテレビをもつ人が急増したくらいブームになりました。
『おしん』がイランで流行ったのは、1979年のイラン革命のあとにサダム・フセインが大統領になり、イラン・イラク戦争が始まって男性は戦場に行って、残された女性たちが家や社会を回していかないといけない時代でした。
そんな辛い社会情勢の中で女性たちは貧困や戦争に翻弄される『おしん』の姿を重ね合わせて見ていたそうです。
もともとイランでは日本を目指して近代化をしようとしていました。
日本はアジアで近代化を成し遂げた国として、目標とされ、イランは日本をモデルにして「西アジアの日本」を目指そうとしていました。
日本製品への信頼は厚く、日本製の糸を使ったチャドルは、
日本の有名な自動車メーカーから名前をとってMitubishiと名づけられているのだとか。
そんなことも『おしん』ブームに一役を買ったのかもしれません。
『おしん』の影響は大きく、例えば女性の美しさの基準が多様化していきます。
それまでは明るい髪や目が好まれていたのが、『おしん』放送後は
丸い顔や黒くてアーモンド型の鋭い瞳も魅力的に写るようになっていったそうです。
そんな『おしん』ブームのときにマハバードで古着市場ができました。
国境を越えて密輸された古着を売る市場です。
おしんの衣料事業での成功と、日本の経済的復興にあやかって、
商人たちはその市場を「タナクラバザー」と名づけました。
それからタナクラバザーはイランの至る所で見られるようになりました。
そして、「タナクラ」はイランで古着を指す普通名詞になったのです。
『おしん』はイランの女性たちに大きな影響を与えました。
戦争中稼ぎ手とならなければいけなくなった女性たちは収入を求めて、
路上の屋台や中古品販売などを始めます。
『おしん』は多くの女性たちにとってロールモデルとなったのです。
1989年の調査では、イランの女性の一番のロールモデルとしておしんの名前があがっています。
おしんの独立心や態度、逆境に耐える力がイランの視聴者に影響を与えたのです。
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この記事を読んで、大変心に打たれました。
というのも、今日本で韓国ドラマにはまって
韓国ドラマの女性に影響を受けている人が多いと思うのですが、
日本のドラマで同じようなことがイランで起こっていたということに驚きました。
また面白い記事があったら紹介してみたいと思います。